「子供は宝であり、その国の未来」親だけでなく社会で育てる

 「子供は宝であり、その国の未来」

 昨今ワーキングママという言葉があるように働くお母さんたちが増えてきています。

 政府も少子高齢化問題対策として働く女性を増やそうと躍起になっており、企業として働くお母さんたちを積極的に雇用するようになってきました。

 これはこれで個人的には全然良いと思うんですが、子育て家庭のお母さんたちが外に出て働くとなると必然的に誰かが子供を見てあげないといけません。

 とすると社会が子供の面倒を見るということになります。これって至極当然なわけです。

 ただ、ニュースを見てると保育園や保育室の建設を近隣住民が反対したり、子連れの人が電車やバスで冷たい目で見られたり、全く逆のことが起こってるわけなんですよね。

 もちろん、こういったことをする人たちは一部であって全員がそうではないのですが、こういうことが平気で起こる日本の社会ってやはり異質だと思いますね。

 子供は泣くものだし、わがままも言うし迷惑もかけます。そんなのあたり前なんです。だって何もかもが初めてなんだから。

 初めからなんでもできる人なんてこの世には存在しないわけで、子育てに理解がない人だって子供の時はたくさん泣いて、わがままを言って、たくさん周りに迷惑をかけながらも誰かの支えがあって生きてこれたわけです。そしてこれから自分が高齢者になると嫌でも社会のお世話になるなるわけです。

 綺麗事ですが社会ってそういうもんで、「思いやり」という互助の精神から成り立つべきものなんです。

 そして、その社会の土台を作り上げるのが政治であって法律なわけです。

 極端な話し、保育園の建設問題とか待機児童問題とかは法律でがっちり固めてやっちゃえばいいと思うんですけどね。

 もし、保育園の建設に反対であるならば真っ当な意見を持って裁判で争えばいいだけじゃないですか。住民会議なんて何も法的拘束力のないことをしてるから難癖つけてくる人たちがでてくるわけですよ。

 待機児童問題に関しても財源がどうのこうのなんて議論をしてる暇があれば、とりあえず待機児童ゼロを法律で決めちゃって、決めてから財源問題を議論すればいいわけですよ。決める前にいくら議論したところで問題解決が遅くなるだけです。

 極端かもしれませんけど、個人的にはこれくらいのことをしないと日本の少子高齢化は止まらないし、子供や子育て世帯に優しい社会というのは実現不可能なんじゃないですかね。

 喫緊の日本経済を支えるのはもちろん大切なことですし、労働力が足りないという問題もわかりますが、「ワーキングママ」だとか「働く女性」だとか、「イクメン」だとかそんな言葉ばかり先行して、その場しのぎの労働力を搾取するだけでなく、同時にもっと長い目で見た「子供」への投資が必要なんじゃないですかね。

 だって「子供は宝であり、その国の未来」なんですから。

著者プロフィール

Taka

東京、奄美大島を拠点にサーフィンとスノーボードが好きなフリーランスのWebクリエイターです。普段はプログラム書いたりデザインしたり映像作ったりしています。いろいろな人の話しを聞くのが好きなので、このブログを通して多くの人と繋がりが出来たら嬉しいです。noteとInstagramもやっているのでフォローしてくれたらありがたいです!

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